トーナメント志向入門

 

皆さんはトーナメントプレイヤーいわゆるガチデッカーをどのように考えているだろうか?

 

勝ちにこだわるあまりゲーム自体を楽しめていない。

弱いデッキを否定し、他人に合わせることをしない。

果ては勝つために何でもする犯罪者。(イカサマ、サメトレードなど)

 

見たいなイメージがないだろうか?確かに一部の勘違いプレイヤーが周りに迷惑をかけている事実はあると思う。でもそれはあくまで一部のプレイヤーだ。

 

しかし、正直こんなことを耳にするたびに悲しくなる。

なぜこんなことになっているのかを考えた時にやはりトーナメント志向、そしてトーナメントプレイヤーの思考がよく理解されていない現状のせいだと考えた。

 

この記事はトーナメント思考のプレイヤーが何を考えているのか(まあ主に私が考えていることになるが)を書き下したものになる。

たぶん、これは違うよと思われる方も多いと思うが一個人の考え方としてご容赦願いたい。

 

この記事を読む上で大切なのは視点の切り替えだ。現在トーナメントプレイヤーにいい印象を持っていない方にも、自分の気持ちを一旦抑えて想像していただきたい。反発ではなく一度トーナメントプレイヤーの立場、視点に立ってこの記事を読んでいただきたいのだ。

 

そして出来れば皆さんにもトーナメント志向での楽しみ方を身に着けていただきたい。その一助となれば幸いだ。

 

では以下書き下していく。

 

 

勝ちを目指すことが前提?ゲームを楽しむのが一番なんじゃないの?

 

よく言われるのはガチ勢は勝ちを目指しすぎてゲームを楽しめていない。相手の気持ちを考えてないといったことだ。

 

弱いプレイヤーのやりたいことを潰し、圧倒的なカードの資産の差であったり、プレイで勝ちの優越感に浸る外道、、、に見えてるかもしれない。

 

これはプレイヤーの価値観が何処に置かれているか、かけているレンズの差による誤解が大抵の場合の原因だ。

 

互いにゲームをしている時間を楽しむ。これがゲームの本質であると思う。ただこれは本質のひとつの側面であって総てではない。楽しむことを大切にするプレイヤーであっても勝ちたいと思う気持ちがまったくないかといえば嘘になる。

そうでないなら相手に負けるためにあなたはプレイをしていることに成り、本質としてゲームが成り立たない。

 

ひとつたとえ話をするならば、何かスポーツでたとえるのがよいだろうか。

サッカーで話をしてみよう。

トーナメントゲームがインターハイの試合だとすれば、ゲームを楽しむことを主軸におくゲームは体育のサッカーだ。

 

体育のサッカーはその授業をいかに全員が体を動かして楽しめるかが主に重要なことになる。出来ればすべてのクラスメイトが活躍できるようにパスをまわす。個人のスキルレベルは問題とならず全員が何かしらの役割を持つことが重要だ。サッカーが得意な人は不得意な人をフォローしたりすることが評価につながる。キャプテン翼くんよろしくオーバーヘッドシュート見たいな鮮やかで難しいプレイを決めて場を盛り上げる、場合によってはキーパーがゴールを決めるみたいな作戦もシュールで盛り上がるかもしれない。決してサッカー部や一部のスポーツマンたちが個人プレーに走ったり、弱い人をのけ者にしたり、弱点を突くようなことは褒められない。

 

一方、インターハイは真剣に取り組み、勝利を目指した選手のみで構成されている。優勝を目指す、出来るだけ勝ち進むことが前提条件になっている。選手は上から強いものを選抜しており、スタメンに入るため選手は大量の自分の時間を練習に割き、自己の能力成長に努める。努力して努力して負けたら死ぬほど悔しくて、勝つことでしか報われない、でもサッカーが好きで選手全員がそういう世界で勝負して天辺をとることを考えている。そんな真剣勝負の世界、インターハイでは初心者を必ずゲーム中に一回出したり、派手で受け狙いのプレイは求められない。そんなことしようものならチームメイトからも、ましてや相手からもいい印象を受けないだろう。それはゲームへの冒涜、真剣なプレイヤーへの冒涜に過ぎない。面白くもない堅実なプレイこそが必要なのだ。

 

この視点のままカードゲームに置き換えていただきたい。

 

友達とやるゲームは楽しくプレイしてなんぼだ。初対面の人と打ち解けるためのゲームと共通してコミュニケーションのツールでの側面が高い。わざわざたった一回の勝ち負けで友情に亀裂を入れるなんてことはあほらしい。

 

ただトーナメントシーンではまったくの逆だ。全員が前提として勝つことを最優先としておいている。その上でコミュニケーションのツールとしてもなりたっている。自分が手も足も出ずに負けたとしても、いやだからこそ相手に敬意を払うべきだ。

突き詰めれば他人から見てまったく遊びのないクソみたいな試合こそがもっとも高次で優れたゲームであることが多い。そんな試合を出来たことを君たちは誇れるはずだ。

 

しかし、ここを履き違えているプレイヤーが多いことに驚く。勝つためには何をしてもいいと思っている前提条件しか満たしてないプレイヤーはコミュニケーションをまったくしようとしない。挨拶しない、マナーが悪い、果てはイカサマ。トンでもない勘違いやろうだ。

 

たしかに勝つことは気持ちがよい、負けることは気持ちが悪い。負けた時に悪態をつくプレイヤーは多い。自分の感情を制御できず常に相手にぶつけてしまうのはただのガキだ。そんなのはトーナメントプレイヤーでもガチ勢でもなんでもなく対戦ゲームをする資格のない方なのでデジタルRPGで魔王でも倒して世界でも救っていてほしい。

 

また、TCGを子供の趣味だといい大人がやるものではないという声もあるがそんなことはない。遊びとは違い真剣勝負というのは学べることが多く、やり方次第ではいくらでも成長できる。

 

これはゲームであって遊びではない。生死は賭けていないがプライドは賭けている。(最近アインクラッド見た。面白かった)

 

老若男女、体(フィジカル)の優劣問わず極められるものこそがゲームであり、文化の本質だ。

私は文化が好きだ。ゲームが好きだ。TCGが好きだ。

だからみんなに好きになってほしいと思う。

 

時間の関係で今はほとんど出来ていないがいずれは復帰したい、一生かけて勝負していきたいと思っている。だから出来ればおっさんとかじじいにも(もちろん女子にも)優しくしてあげてほしい。

 

話が大分ずれたがTimmy(プレイそのものを楽しむことを主に置く方)の人はジーンズ、サンダルでインターハイに出て、「何こいつら頭おかしい、遊びじゃんこんなの」とか言わないでほしい。TPOを考えて発言しないと周りに敵を作る。

 

トーナメントプレイヤーの人も自分の態度をもう一回見つめなおしてほしい。あなたはコミュニケーションを置き去りにしてないだろうか。相手の考え方、楽しみ方をないがしろにしてないか。回りを見て今は体育の授業なのかインターハイの試合なのかをもう一度見てほしい。自分がどんなに正しかったとしても、正しいからこそ全プレイヤーに向けての発信は気をつけよう。ツイッターなんかでの枕詞は「サッカーやる時に」ではなく「サッカーのインターハイの場面において」である。

 

まぁ、言いたい事は一言だ。

 

 

トーナメントプレイヤーよ、宣誓しろ!

スポーツマンシップに則り、最高のクソゲーをすることを!

 

 

 

 

 

 

 

どうしよう書きたいことが一項目でまとまってしまった。

これだと短いと思うので蛇足を書こうと思う。

 

趣味とプロの違い

 

自分が考える趣味とプロの違い。

 

強い競技プレイヤーってどこまで強くなればプロになれるのだろうか?

 

どこまで極めればプロプレイヤー呼ばれることが出来るのだろうか?

 

自分が考えるプロとはなんなのかを書いてみる。

 

まず、プロという言葉の定義から、プロの本来の意味は「職業上の」で、その分野で生計を立てていることをいう。

 

ようは生計を立てられるほどお金を稼げるかどうかということがプロとよばれるために必要なことだ。

 

しかし、自分が考えるに単純に強いプレイヤーがプロと呼ばれるわけではない。

 

ここでもたとえ話をしよう。

 

私はポーカーが好きなのだが、ポーカーはスキルゲームだ。TCGと同じように知識やプレイで自分の勝率をあげることができる。大きく異なるのはカジノゲーム、いわゆるギャンブルと呼ばれるゲームのご他聞にもれず、現金を賭けて戦うことが特徴である。もちろん強いプレイヤーは大きな金を得ることが出来る。それで暮らしていくことも可能であろう。しかし、そのプレイヤーをプロと呼ぶことが出来るだろうか。いつもは勝てていたとしてもそれで安定した暮らしが出来るのであろうか。ある日大負けして暮らしていくことが出来なくなるかもしれない。その月によって貧乏だったり金持ちだったりするかもしれない。

 

思うにこのケースのプレイヤーはプロではない。仕事をしているわけではない。ただ遊んでいた結果として金を得ていたに過ぎないのだ。働くとは「傍楽」と言い換えることが出来、「傍(そば)の人を楽にする」と言い換えることが出来る。もともとは他の人がやりたくないことを代わりに引き受けることが働くという意味であり、人間は社会的な動物でありコミュニティに利益を出すことで金という対価を得ることこそが仕事だと解釈している。

 

こう言い換えると『仕事の結果』と『遊んだ結果』として金が手に入ったことの違いが分かるであろうか。

 

ではポーカーにおいてプロとはどういった人たちのことを指すのだろうか。私の解釈はこうだ。

 

プロとは、本を書いて知識を伝えたり、実況をして解説をすることでそのゲームをエンターテイメントまで昇華させたり、自身がプレイヤーとしてアイドルやタレントなどの一種の偶像、憧れを増徴させる存在であると考えている。

そうすることでプレイヤー人口を増やし、ゲームを活性化させ、他人が知りたいこと、求めていることを与え、対価を得る存在なのだと私は思う。

 

そのために、強さがいる。ゲームの最先端を研究し、自分をより魅せるために、勝ち続け強くあり続ける必要がある。結果として遊びとしてのゲームでも充分に生活していけるだけの金を得ているに過ぎない。

 

他人から買って金を奪うことだけを考えているうちはプロプレイヤーとは程遠い存在だと思うのだ。

 

プロとは価値を創造することが求められる。決して閉じたゲームのゼロマネーゲームを制していくことが仕事ではないのだ。

 

セオリーを作り、憧れを作り、プレイヤー全体が楽しめるように基盤を作っていく。

 

もしプロプレイヤーになってみたいと考えている人がいたならそんなことを是非意識してほしい。

 

ある意味、プロの性質は競技プレイヤーとは対極の位置に存在するかもしれない。

 

彼らは競技プレイヤーをその絶対的知識と腕で楽しませて、夢を見せる。憧れを抱かせる。そこに実際の強さは必ずとも比例しない。競技プレイヤーの遊びをより楽しいものとするためにプロは存在するのだ。